社畜サラリーマンから脱サラ自由業を目指すブログ

30歳社畜サラリーマンが独立してフリーランスになるお話です。

投資を始めたきっかけ(1) 就活失敗

こんにちは。社畜サラリーマンです。

 

今回は私が投資を始めたきっかけについて話していきたいと思います。

今思い返してみるといろいろな事情が重なりあった結果によるものだと思いますが、一番のきっかけは就活の失敗だったと今では思っています。

 

私は元々ローカル線が通り、狸や鹿が出るような田舎の育ちでしたから都会に対して憧れがあったのかもしれません。我が街、我が県を活気づけて便利で住みやすくしたいという思いから、街の成り立ちや再開発に興味を持つようになり、図書館へ毎日通い、統計資料やマスタープランを読み漁るようになりました。

 

子供の頃は人気のドラクエやF FといったRPGももちろんプレイしていましたが、「A列車で行こう」、や「Sim City」といった街づくりのシミュレーションゲームに没頭していたのもあり、街を作ることが楽しい、街を作りたいという願望を持つようになり、将来はその分野で働くんだという意識が芽生えていました。

 

そんな経緯もあり小学生の頃から社会系の科目が得意だった私は高校では建築士を目指していたのと地理を選択したいが為に理系を選択しました。(通っていた高校では理系のみ地理を選択できた)

 

ところが数学と物理、化学の成績があまりに悪く、地理と現文、英語の成績が良かったので自分は根っからの文系なんだと気づいた時にはすでに時遅しで、理系での進学を諦め、文系で街づくりを学べる大学と学部を探しました。とあるマーチクラスの大学の政策系の学部がその分野の学びが出来ることを知り志望することにしました。

 

地理以外の科目は中途半端な学力だった為、一般受験はかなり厳しいと踏み、当時恐らく全盛期だったAO試験を受験したところ運良く合格。大学生活の大半をバイトと遊びと堕落の生活に費やしたものの、大手デベロッパーに入社する事を一番の目的に就活を始めることになります。

ところが、とにかくデベロッパーに入りたいという気持ちだけで、大手の三井不動産や、三菱地所住友不動産等、今思い返せば手の届かないような業界の頂点の会社ばかり志していたように思います。

 

ところが元々募集人員の少ない業界でかつ、私の浅はかな志望動機と大のあがり症ということも相まって面接で失敗し続け面接試験に落ちまくり全滅。

 

デベロッパーがダメならインフラ関係、インフラがダメならメーカーと徐々に業界を変えては選択肢は減っていき、業界研究もおろそかになり、志望動機もブレまくり、周りの友人が続々と内定を決める中、全然内定の決まらない自分に絶望して自殺願望を抱くときも当時はありました。

 

そんな中、就職課から勧められて中小企業にも目を向けるようになり、社員数百人程の会社で初めて内定をもらって少し自信がついたあとに、前職の会社と出会いました。

 

世間一般ではあまり知られていないニッチな産業では世界トップシェアを誇る年商500億程の中堅企業でした。

 

実はその会社の役員面接当日に寝坊するというヘマをしてしまったのですが、大急ぎで人事担当者へ連絡して正直に寝坊したと伝えたところ、正直に言ってくれたので本来ならお断りするところだが、体調不良ということで面接日を変更してもらえました。

 

役員面接と最終面接ではエントリーシートを見ながら話しても良いというあがり症の私からは大助かりな面接のおかげもあって、無事に内定をもらうことができました。

 

就活を長いことやっていた疲れた人事担当の方への恩義もあってその後予定していた他社の面接も全て断り、前職の会社へ入社することを決めました。

 

入社後は夢は一旦中断して、今はこの会社でがむしゃらに頑張ろうと意欲を燃やしていた私でしたが、やはり昔からの夢であるデベロッパーへ入社できなかった無念とプライドが邪魔をしてすぐに仕事が嫌になって、気がつけば転職サイトへ登録をしていました。まだやり直せると思い大手の会社へエントリーしたりしましたが、

就活の時と何も変わっていない私を受け入れてくれる会社は当然ありませんでした。

 

何も成果を出せず、今の会社の規模、業種が気に食わないだけの人材はどこも必要としておらず、浅はかな考えと甘えを見透かされていたのだと思います。社会人を舐めていたとしか言えません。非常に恥ずかしい限りです。

 

投資を始めたきっかけ(2)へ続きます。

 

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